みなさま ご機嫌よう。
お着物を大切にされている
あなたへ。
明日、
あなたの身にまとうお着物には
何が描かれていますか?
もしかしたら そこには
福徳を招く物語が、たくさん隠れているのかも。
【宝尽くし】を読み解く 四の巻。
本日は『分銅』の、お話しです。
分銅と 上皿天秤
分銅(ふんどう)は、
物を正確に量るための「おもり」のことです。
現在でも、理科の時間に
学生さんたちは指先の油が付いて分銅が錆びないよう
手袋をはめ、ピンセットを使って
重さを量る実験をされると思いますが
あなたは覚えておられますか?
私も かつて理科の実験室の棚から
先生が取って下さった上皿天秤を使い
そのお皿の上に 薄くて四角い板状の
おもりを重ねて置いたり、
円柱形で上に突起のついた分銅を扱った記憶があります。
こんな感じ。
なんだか懐かしいです。
でも、この↓【分銅】の文様とはずいぶん形状が違いますね。
なぜでしょう?
分銅文と 地図記号
実は、【宝尽くし】の分銅文(ふんどうもん)に使われる
円の左右を弧状にくびらせた形は、
あなたも、社会科の授業の時に目にしているはず。
それが、こちら。
そう、地図記号です。
【分銅】を模した形は、銀行のマーク。
突然、社会の教科書にたくさん出て来て
私は、先生から「次のテストまでに覚えましょう」と言われました(微笑)
銀行は、昔でいうところの『両替商』
昔の人々は、物の重さを基準に取引をしましたから
これは当然かもしれませんね。
でも、ということは分銅の意味するのは
重さではなく、お金でしょうか??
後藤分銅
日本では、紀元前の遺跡からも
物を量るための重りに使われた石が出土しております。
その後、
豊臣秀吉のいた安土桃山時代には
枡(ます)で、豆や米を量ったり
江戸になり【竿秤(さおばかり)】や
明治には【台秤】も登場しました。
宝尽くしに、『分銅』に似た形が使用されたのは
江戸の初期・寛文(かんぶん)の頃。
取引のたびに厳格に貨幣の重さを量っていた時代に
重さを統一させる為、徳川幕府は
分銅座支配の後藤四郎兵衛家へ
その製造を、一手に任せました。
当時の分銅は『後藤分銅』と呼ばれ
表には → 重さの表示
裏には → 後藤の文字と花押
全面には→ 家紋の『五三の桐』
が、刻印されました。
ようやく、
宝尽くしの文様が見えてきましたね!
貯蓄の象徴
もしも、分銅が
取引の正確性を死守するだけのものであるなら
秤(はかり)に掛けるのは、
鉄や真鍮だけでも、充分だったはず。
けれど、時の天下人は
金や銀を 分銅形に鋳造(ちゅうぞう)し
それを貯えることで、
非常時の貨幣代わりにしました。
そう。
これこそが分銅が宝といわれる由縁。
分銅を たくさん持つということ
それは
それだけ金銀があるということ。
財があるということの証。
どんなに時代が変わっても
分銅文様が、「富の象徴」であり
「貯蓄の象徴」であり続ける理由は
それを身に付ける人が
大切な人の門出を祝い富と福徳の祈りを
分銅文を織り込むからなのでしょう。
こちらは『分銅繋(つな)ぎ』です。
円形で左右にくびれた
この形が美しい事から家紋にも好まれました。
如何でしたか。
分銅の、奇妙な形から
またどんな世界に連れて行かれるかと
思っていた私ですが
これまで見てきた3文様とは違う
日本独自の文様でした。
知らないことって、
ほんとうに多いのですね。
お着物から繋がった、文様の旅路。
この後も、たくさんの宝物を
拾い上げて参りましょう。
次に参りますのは、こちらです。
どうぞ ごゆるりと
また、付き合いいただけますと嬉しく存じます。
ご機嫌よう。