京都の飴屋 岩井製菓の七五三用千歳飴の製造風景
みなさま ご機嫌よう。
時節柄
七五三のお話しが聴かれます。
千歳の祈りを込めて
三歳(みとせ)の無事を喜び
五歳(いつとせ)七歳(ななとせ)までも
よく命が長らえてくれたものよ、と
感謝を極める親心。
実は、本物の千歳飴の味は失われつつあると伺って。
本日は、こちら・・
千歳飴のお話し。
粘り強く長く生きよと願いを込めた
【千歳飴】は
元来は、餅米のデンプンに麦芽を加え
練って作った水飴を煮詰めて、こねて、伸ばして固めた
【晒(さら)し飴】です。
別名
せんざい飴・千年飴・寿命飴
とも申します。
縦長の化粧袋に描かれる
松竹の絵柄は、冬でも青々として
梅の絵柄には、冬でも花咲かせよと
願を賭け
歳の数だけの飴を入れたもの。
その起源は、3説。
[其の壱]
元和1年(1615)
大阪の平野甚右衛門が江戸へ出て、浅草浅草寺の境内で売ったとか。
[其の弐]
江戸元禄・宝永
浅草の飴屋・七兵衛が、紅白に染めた棒状の細工飴を
「千年飴」「寿命糖」と名付けて売ったとか。
[其の参]
神田明神の、
天野屋で売り出されたのが先だとか。
ともあれ、流行り病によって
子どもは急逝することが多かった、その時代は
『七つまでは神のうち』
七歳までの命は神の手の内にあり。
天和元年(1681)
徳川五代将軍綱吉が、まだ幼少の徳松だった頃も
11月15日に健勝を祈念したと。
今は昔の千歳飴。
その味たるや、イチゴ・チョコ・ミルキー・抹茶に(微笑)
虫歯になるから食べさせないとの母心。
時に、シチューと煮込んでコクを出し
溶かして大学芋の蜜にするという。
そんなこんなの千歳飴
昔ながらの晒(さら)し飴
一体、本物の味は何処へ?
しかし一部の方々の間では、入手困難なほどに人気だそうです。
この時節にしか手に入らない昔ながらの晒し飴?
あまりに求める大人の皆様からのささやきが
洩れ伝わってきたもので、
探してみましたが、本物は売り切れ多し。。
大人になっても
季節を愛で 年中行事を寿(ことほ)ぐ心は
どこかで、忘れずにいたいものですね。
七五三のお子様が傍に居られなくとも
縁起物ですね
職人さまの心のこもった
『千歳飴』
よろしければ、お一つお手に。
千歳飴 2本入(赤・白) のし袋・手提げ袋付(昔ながらの一般タイプ) | ||||
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本日も、
お読みいただき有難う存じます。
またお目にかかれます様に
ご機嫌よう。